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「葬送のフリーレン」から学ぶまちづくり_知ろうとすること

2023年の大晦日

2023年の真岡まちづくりプロジェクト「まちつく」を振り返ろうと思っている、まちつく事務局の林です。こんばんは。
ですが、何かをしようとすると、違うことが気になるもので、今はYOASOBIの「勇者」が頭から離れず、リピートされています。そう、この曲は「葬送のフリーレン」(小学館、原作:山田鐘人、作画:アベツカサ)の主題歌。

YOASOBIの楽曲だけに、詞=物語になっているものの、そもそも「葬送のフリーレン」をご存知ない方には、なんのことやらですので、少し説明しますと、「葬送のフリーレン」は2021年の第14回マンガ大賞を受賞した作品で、2023年にはアニメ化されています。それでは、どんな物語かというと

魔王を倒した勇者一行の“その後”。
魔法使いフリーレンはエルフであり、他の3人と違う部分があります。
彼女が”後”の世界で生きること、感じることとは--
残った者たちが紡ぐ、葬送と祈りとは--
物語は“冒険の終わり”から始まる。
英雄たちの“生き様”を物語る、後日譚(アフター)ファンタジー!

「葬送のフリーレン 1」小学館 <書籍の内容>

人間の勇者ヒンメル、僧侶ハイター、ドワーフの戦士アイゼン、エルフの魔法使いフリーレンの4人は、10年間の冒険の末に、魔王を倒して世界に平和をもたらし、帰還します。大抵のマンガや、ドラゴンクエストシリーズなどのゲームも、魔王を倒すための冒険を追っていく物語ですが、この作品は平和になった世界の、さらにあとの話。
 
主人公のフリーレンは、1000年以上は生きると言われているエルフ(ファンタジー業界では著名ですが、もちろん架空の種族です)。
10年間の冒険もほんのひとときの出来事で、50年に一度の流星群をまた一緒に見ようと別れるわけですが、再会して再び流星群を見た後、勇者ヒンメルは天寿を全うして死んでしまいます。

第1話で死んでしまう、勇者。
 
その勇者の葬儀で、フリーレンは参列者から、悲しい顔一つしていない、薄情と言われてしまいます。しかしながら、1000年以上も生きているフリーレンにとっては、魔王を倒した冒険も

「たった10年一緒に旅しただけだし…」

「葬送のフリーレン 1」小学館

大冒険だったはずなのに「たった10年」の旅路。
人間の寿命を多く見積もって100歳としても、1000年以上も生きるエルフにとっては、時間軸が合っていないわけです。
ただ、ここでフリーレンにも気付きがあり

「…人間の寿命は短いってわかっていたのに…
 …なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう…」

「葬送のフリーレン 1」小学館

と、今度は人間を知るための旅にでる、というのが第1話のあらすじ。
今回は「葬送のフリーレン」を紹介するための記事ではないので、紹介はこのあたりに留めておいて、本題です。

まちつく事務局の私は、社会教育士でもあります。

社会教育については、文部科学省「人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興方策について」(2018)で、今後の地域における社会教育の在り方として以下のように示されています。

「個人の成長と地域社会の発展の双方に重要な意義と役割」として書かれている図のところを、改めて文字起こししてみると

人づくり
自主的・自発的な学びによる知的欲求の充足、自己実現・成長

つながりづくり
住民の相互学習を通じ、つながり意識や住民同士の絆の強化

地域づくり
地域に対する愛着や帰属意識、地域の将来像を考え取り組む意欲の喚起
住民の主体的参画による地域課題解決

文部科学省「人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興方策について」(2018)

この3点と、その中心に「学びと活動の好循環」があります。そして、これまで「まちつく」でも、人づくり、地域づくり、にぎわいづくりを目指して活動してきています(長くなりますが、昨年のグッドデザイン賞2022の際に書いているのでどうぞ)

私は、この社会教育的な視点がまちづくりには大切で、自分たちが住んでいる「まち」のことや、そのまちに住んでいる「人」のことを知ろうとすることが、まちづくりの第一歩だと思っています。

といっても、社会の課題、地域の課題は複雑に絡み合っていて、正直なところ、どこから手をつけたらよいか見当もつきません。1つの課題に対して、1つの解決策を考える時代ではなくなっているはずですが、残念ながら、タテ割と呼ばれる障壁にぶつかることもあります。

たとえば、空き家の問題。
空き家が増えて困っています、という声は聞きますが、その解決策を考えるには、そもそもの空き家になってしまう要因を考えることも必要ですが、空き家を減らすためには?と考える必要もあります。

落ち着いて、空き家、空き店舗の物件を必要としている人もいるのではないか?と考えてみると、移住してくる方や、起業したい方、同じ地域でも子どもが大きくなってきたので引っ越したい方、それぞれのニーズを捉えられているか、となります。
自治体によっては、空き家と空き店舗が別の部署で対応していることもあります。ただ、利用したい人にとっては、物件を家として使うか、店舗として使うか、その両方で使うかは、その利用者次第ですから、物に合わせるか、人に合わせるかは、自然と答えもでそうです。

もちろん、空き家の問題はほんの一例ですが、空き家が増えることは、その地域に住む人が減る、ということです。これも、日本全体で人口が減っているから仕方がない、とも言えますが、その空き家を必要としている人もいるかもしれないのに…と思うと残念でなりません。

このミスマッチを埋めるには、やはりその地域「まち」のことを知ることから始めなければなりません。何が必要で、何が求められているのか。私たちは、自分たちが住む「まち」をどれだけ知っているか。
魔王を倒すための10年間の旅路も、ほんの短い時間であったのか、それともそれは、人間の寿命は短いと分かっていたのに、知ろうとしなかっただけなのか。

高校生、大学生、地域の大人たちで2021年に始まった、中心市街地の活性化を目指して、まちづくり社会実験を行ってきました。
2022年12月からは、市内の小中学生の勉強を教える「寺子屋ドーナツ」を開始し、これまで長期休みに、延べ4回(日数では12日)開催してきました。この寺子屋の取組では、人と人の輪、教えと学びの循環を、真岡から広げていきたいということで「輪=ドーナツ」に見立てて、プロジェクト名としています。

寺子屋ドーナツ

一見すると、中心市街地の活性化と、寺子屋で勉強を教える(教わる・学ぶ)というのは、距離が遠いように感じられるかもしれません。ですが、中心市街地に限らず、まち全体の活性化を目指していくには、人づくりであり、つながりづくりであり、そこからの地域づくりが、にぎわいづくりにも繋がっていくと考えています。そしてその第一歩として、知ろうとすることは大切です。

2024年の「まちつく」にも引き続き応援、ご支援をお願いします。

そして応援、ご支援の前に。あと少し「まちつく」に関わってくれている学生と、地域の大人たちを知っていただければ嬉しいです。ぜひ「まちつくインタビュー」もお読みください。

栃木県真岡市には、自分が住む「まち」を好きな大人がたくさんいます。