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無駄を楽しむ遊び心をガレージブランドに。真岡駅前から提案する、もっと自由な登山の在り方。【まちつくインタビューvol.17 井上真さん】

栃木県真岡市で、まちづくりに取り組む方々の想いを伺うインタビュー!
今回は、県内外のハイカーたちに愛されるガレージブランド、Nruc(ヌルク)の井上真さんにお話を伺います。

井上 真(いのうえ しん) / Nruc 代表
栃木県小山市出身。高校卒業後、アウトドアメーカーで8年間勤務し、登山のツアーガイドなどを勤めたのち、2018年に真岡市門前地区にてアトリエを構え、ガレージブランド「Nruc」を立ち上げ。2020年7月にNrucのアトリエ・店舗と、カフェ「ZUKKOKE COFFEE」、自社ブランド以外の登山用品を取り扱う「セガール山道具店」が一体化した店「NRUC NEST」をオープン。現在はインテリア用品も取り扱っている。ヌルク合同会社代表。真岡市の空き家の利活用を行うNPO法人TSUKURU MOKA理事長。
NRUC NEST:https://www.nruc.net/nruc-nest

山の楽しみ方を問いかけるガレージブランド、Nruc


―はじめに、井上さんのご活動について教えてください。

登山用具を扱うガレージブランド「Nruc」をつくって7年目になります。最初は自分一人で始めたブランドでしたが、今はスタッフが9人になり、役割分担して製縫や販売を行うようになりました。

2020年には、真岡駅前にある、大谷石でできた蔵をリノベーションした店舗「NRUC NEST」をオープン。Nrucのアトリエと直売所のほか、さまざまなブランドの山道具を扱う「セガール山道具店」、カフェ「ZUKKOKE COFFEE」も運営しています。最近は、生活雑貨の販売も始めました。

Nrucは、そのまま「ぬるく」やろうという意味です。登山にはどうしても「山頂に行かなければならない」というイメージが根強くあります。しかし、無理して山頂に向かうと、下山する際に事故が起きてしまう危険性が高くなる。山の事故は下山で起きることが多いのです。アウトドアブランドで働いたり、登山ガイドをしたりする経験のなかで、山の事故を減らしたいという思いが強くなりました。

山には、山頂にいく以外の楽しみ方もある。「無理して山頂に行かなくてもいいんじゃない」というメッセージを、ブランドを通して伝えられたらと考えています。

登山ギアはウルトラライトと呼ばれる軽量化が流行ですが、機能性を持たせつつ、あえて無駄な部分、遊び心を入れているのがNrucの特徴です。例えば、チーカマを入れるポケットがあるサコッシュ。バックの底でクシャクシャになりがちなティッシュをあえて特別扱いしたティッシュケース。ティッシュ類にはやたらこだわりがあり、ボックスティッシュケースやトイレットペーパーケースもあります(笑)。「笑顔のある場所で山の事故は起きない」というのが私の持論です。

加えて、アウトドアメーカーの商品には、機能や使い方が決められているものが多く、使い手が自分で考えるのをやめてしまう側面があります。無駄をつくり、あえて説明を省くことで、使い手に「これは何に使うのか」考える本来の楽しみを思い出して欲しいと思っています。

―NPO法人の理事長もされているのですか?

はい、2023年に、空き家や空き店舗の利活用、促進に取り組むNPO法人、TSUKURU MOKAを設立しました。街を盛り上げる提案も含めて、空いている物件をうまく使っていきたいです。

山で過ごす時間に惹かれて

―ガレージブランドをつくるまでには、どんな経緯があったのですか。

元々は映画が好きで、映画に関わる仕事をしたかったんです。高校の時は俳優の養成学校に通っていました。とはいえ、映画を学ぶために大学や専門学校に通うのは何か違う気がして、高校卒業後はフリーターをしながら英会話を学び、映画の本場のアメリカへ。ハリウッドや好きな映画のロケ地などを巡りました。

帰国したのち、いつもキャンプなどをしていた幼馴染たちと、たまたま富士山に登ることになったんです。初めての登山でした。下山した時、仲間たちはそれほどハマらなかったのに、自分だけ見事に山にハマっていました。そこから、飲食店で働きながら資金を貯め、全国のいろいろな山に登るようになりました。

―富士登山が山に興味を持つきっかけだったんですね。ハマったのはなぜだったのでしょうか。

山頂についた時に感動する人が多いですが、僕はそうでもなかったんですよね。わーっとならなくて、達成感はそれほどありませんでした。それよりも、山にいる時間が今までになく新鮮だったのです。

街中とは違う山の景色や空気。余計なことを考えなくて良い時間。山を登りながら人と話している時、休憩中にご飯を食べている時、一つ一つが楽しかったです。気持ちが落ち着いて、自分に合っている感じがしました。

―山で過ごす時間そのものが良かったんですね。

そうですね。そこから良さそうな山があれば登るようになりました。それまでは海外に目が向いていましたが、山に登り始めると「ああ、日本のことを全然知らない」と感じて、もっと日本を知りたいと思うようになりました。だんだん登山写真にも興味を持ち、車中泊をしながら70日間をかけて日本一周し、百名山を中心に撮影しながら登る旅をしました。帰ってくると、通い詰めていたアウトドアライフストア「WILD-1」の店長に声をかけてもらい、写真展を開きました。

その後、一旦燃え尽きていたのですが、知人に「百貨店内のアウトドアメーカー直営店で人を探してるよ」と教えてもらい、アルバイトをすることに。1年働きましたが、社員にはなれそうにないのでやめようとしていたところ、百貨店側から「新しく入るアウトドアメーカーの店長になってくれないか」と打診されたのです。アウトドアメーカーはいくつかあったのですが、山に詳しいスタッフがいないというので、私に話がきたのでした。それを受けて、アルバイトを辞めた次の日から店長になりました(笑)。給料は安かったですが、居心地が良くやりがいがありました。

4年ほど働いた頃、フリーランスの山岳カメラマンと知り合いました。私は写真を見てカメラマンを当てることができるほど山の雑誌をよく読んでいたので、「あの写真を撮っている人だ!」とわかって興奮したのを覚えています。どこかでフリーランスでやりたいという思いがあり、働き方についていろいろ教えてもらいましたね。

話を聞く中で、カメラでやっていくのは難しいと感じましたが、趣味だった山についてのブログを、書く仕事に活かせるのではないかと思いました。そこで、登山ガイドをしながら、山の雑誌のコラムなどを書くライター業とのダブルワークを模索。この頃から、「山頂に行かなくてもいいんだよ」と伝えることをより具体的にカタチしていこうと考えていました。

そのころは、書くことが表現の手段だと考えていましたが、フリーになって2年目を迎えた頃、個人のガレージブランドの業界に少し関わることになり、世界が変わりました。大手ブランドにいたので個人で作って売るなんてありえないと思っていましたが、その常識が覆されたのです。まだ新しい業界のため、商品は趣味の延長に近いものもあり、参入も難しくありませんでした。

私は20代前半から趣味でミシンを踏んでショルダーバックなどを作っていたので、いけるんじゃないかと直感。書くこと以外にも、ものづくりを通して表現することもできるのではないかと考えたのです。法人ではないと相手をしてくれない業者さんもいて材料探しは手探りの状態でしたが、とりあえずブランドを立ち上げました。ブログで発信していた「山頂にこだわらなくてもいいんじゃない」という思いを、実際のものに落とし込んでいった結果、先ほどお話しした遊び心を取り入れた商品になりました。

購入してくれたお客さんから、実際に「救われた」と言っていただくことがあります。「山の会に入って山をやっていたけれど、登頂が当たり前な風潮があったり、自分のペースで歩けなかったり、正直、なんでこんな大変な思いをしなくちゃいけないんだと思っていた。山頂に行かなくても良いというメッセージに救われた」と。他にも何件も同様の声をいただき、書くことだけではなく、ものにも表現を乗せられる。ブランドという大きな箱で表現していくことができると実感しました。

ポテンシャルしかないまち、真岡

―そうしてNrucができていったんですね。初めは門前地区にアトリエを構えられたそうですが、なぜ真岡を選ばれたのですか。

ブログの読者は全国にいたため、県外からもお客さんが来るだろうと考え、店はインターチェンジと駅が近い場所につくろうと決めていました。真岡にはたまたま山仲間がいて、物件を探していると伝えると門前地区を案内してくれたのです。見せてもらった物件がよかったんですよね。私はよく「テクい」と表現するのですが、良い感じに古臭くてかっこいい、まさにテクい物件でした。何より家賃が安くて、まずは1年だけでも借りようと決めました。

門前地区にアトリエ兼店舗を構えたのですが、半年くらい経つと受注量が製作量に追いつかなくなって、人を雇うことになりました。人を増やすと店は手狭になり、別の場所を探していたところ、運よく真岡駅前にある、今の物件を見つけたのです。中を見せてもらって即決。「蔵で店ができるなんて最高じゃん」と思いました。大家さんも好きにしていいよと言ってくださる方だったので、自由に店作りができました。

ただ、今度はアトリエだけにするには広すぎて。真岡には登山用品店がなかったので、山道具を探しに来る人もいました。そこで、他のメーカーの山道具の仕入れをして販売するようになりました。アトリエから始まり、ショップまで出した単独のガレージブランドは全国でも初めてだったそうで、全国の同業の方々も話を聞きに来てくれるようになりました。

ー物件との出会いで真岡で店を始められたんですね。今は空き家の利活用にも取り組まれていますが、まちづくりにはいつ頃から関心を持たれたのですか?

Nrucにいろいろな方が来てくれるようになり、店を見た後「どこかおすすめの場所はありませんか?」と聞かれて、うまく答えられなかったことがきっかけです。せっかく来てくれているのだから、もっと真岡ならではの良いところを紹介できるよう、個人の飲食店などを回るようになりました。そのうちに、だんだんまちへの思いに火がついてきたんです。

飲食店は揃っているので、もっとPRをして盛り上げられるのではと思ったり、駅前でもう少し時間を潰せるよう、賑わいを作れないかと考えたりするようになりました。

はじめはNrucとして1店舗ずつ駅前に店を増やしていけないかと考えたんです。しかし、それをやっていては資金も人材も保ちません。そんな時、全部自分でやるのではなく、物件を把握してお店を誘致する仕組みを作る方法もあるとアイデアをいただきました。そこで、NPO法人TSUKURU MOKAを立ち上げ、空き家の利活用に取り組むことにしました。

―真岡の街は、井上さんからみていかがですか。

初めて真岡に来た時、知人と「なんかこの街、まだもっとできるよね」という話をしたんです。まちづくりの取り組みがないし、まだ何も始まっていないと感じました。一方で、門前時代に出会った人たちは、まちを盛り上げたいという思いを持っていました。そういう人たちと今後、もっとまちを面白くできるんじゃないかと感じています。

このまちはポテンシャルしかありません。Nrucを運営していく上でも、もっと街に人が歩いている状態を作っていきたいですし、NPOで場所を用意して、やりたいことのある方にどんどん来ていただきたいです。


Nrucらしさを武器に、登山のあり方、まちのあり方を提案する

―最後に、今後の展望を教えてください。

Nrucは、どんどん商品が世の中に出ていくようになり、縫製スタッフも増えて、私の負担がだいぶ減って楽になってきました。まだまだ作りたい商品はあるので、生み出し続けていきたいですし、これからはもっと情報発信にシフトして、よりエンタメを膨らませてNrucらしさを表現していきたいです。大企業にするつもりはありませんが、ひとまわり組織を大きくして、情報発信まで手が回るブランドにしていきたいですね。一緒にやってくれるスタッフも募集中です。

また、アウトドアイベントへの出店、主催もしていきたいと考えています。2023年4月には、五行川河川緑地「RIVER+(リバープラス)」でハイカーイベント「GENTLE HIKER STAND」を開催しました。約10ブランドが参加してくれて、ちょうど良い規模感でお客さんやブランド同士で話せる、肩肘張らないイベントになったと思います。これくらいの規模感のイベントを年に2回くらい、栃木全体でやっていきたいと考えています。


消防署の方々と連携して、ファーストエイドの講習も始める予定です。山の事故を減らしたいという思いは変わっていません。2023年は、現時点で例年よりも山の事故が増えています。登りたくない人は無理して山頂まで登らなくてもいいし、登りたい人はしっかりトレーニングをする。トレーニングする時間がない人は身の丈にあった登山をすればいい。そのためにはさまざまな山の知識が必要で、SNSの受け売りだけでなく、本やウェブサイトでいろいろ調べて"自分で"考える事が重要です。ファーストエイドに関する知識はその延長線上で、少しずつ余裕が出てきた人の次のステップです。まず自分がどういう登山をしたいのか、どんな登山が好きなのか考えて、準備してほしいと思います。

NPOに関しては、空き家、空き店舗の情報を集めていきたいので、街の皆さんにも協力していただけたらと思います。まだまだ種まきの段階なので、市とも連携しながら膨らませ、良い方向へ持っていきたいですね。まずは真岡駅前から、お店を巡りながら街歩きできるまちをつくっていきたいです。NRUC NESTが街歩きや情報のハブになれば最高ですね。

取材、文章、写真:
粟村千愛(地域おこし協力隊)