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まちつくインタビュー vol.4 岡綾さん

にのみやニッチで証明したいこと。一つでも多くのシャッターが開く未来。

コミュニティスペース「にのみやニッチ」を運営する岡綾さん。一級建築士として事務所を構える一方、まちづくり活動にも積極的に取り組んでいます。その背景にあるのは、生まれ育った町への想いでした。岡さんが目指すまちづくりとは。お話を伺います。

岡 綾(おか あや)

栃木県真岡市(旧二宮町)出身。下館第一高等学校卒業後、日本大学理工学部建築学科に進学。真岡や東京の建築設計事務所に勤務したのち独立。ツイルデザイン一級建築士事務所代表。真岡市の久下田商店街の一角で、空き家を改修したコミュニティスペース「にのみやニッチ」を運営。真岡すきすきシェアクラブコーディネーター、真岡まちづくりプロジェクトメンバー。

まちも暮らしもサステナブルに

―はじめに、岡さんのご活動について教えてください。

岡:コミュニティスペース「にのみやニッチ」を運営しています。久下田の商店街のお店をリフォームしてつくったスペースで、週2回カフェをやって、レンタルスペースとしても貸し出しています。イベントやレッスン、会議や講座や展示など、幅広い用途で使っていただいていますね。駄菓子屋さんも週1回開いていて、子どもたちに人気です。

ニッチを拠点に一級建築士として、住宅や店舗の建築の仕事もしています。県内のほか、関東全域や東北でお仕事をすることもあり、これまでの20年で100件を超える建物を担当してきました。環境に配慮し、いまあるものを活かした持続可能な建物づくりを目指しています。

ほかには、まちづくりに関わる取り組みもしています。一つは、市内の高校生がまちや学校の魅力を発信する「真岡すきすきシェアクラブ」のコーディネーター。真岡市が移住定住促進のために取り組んでいる活動で、市内の高校生8人が参加しています。もう一つが、有志の大人と学生が一緒に取り組む真岡まちづくりプロジェクトですね。

どの活動でも大事にしているのは、「まちも暮らしもサステナブルに」ということ。私は旧二宮町の出身で、小さいころからこのまちを見てきました。小学生のころは街中を人が歩いていたけれど、大きなスーパーができると次々と商店街のシャッターが閉まっていって。それが寂しかったです。この先もまちが続いていくようにもっと楽しくしたいと思い、建築デザインを学ぶようになりました。

まちには、いま使われていない建物が多くあります。もちろん長く住める家を新しく提案することも大事ですが、今あるものをうまく活用することが重要だと思っています。資材の再利用や、自然エネルギー活用も積極的に提案していますし、まちづくりでも、地域にある資源を生かしてまちを盛り上げていきたいと考えています。

「そこにあるもの」を活かす

―はじめから建築にご関心があったのですか?

じつは、高校生のころは医者になりたかったんです。もともと人の役に立ちたいという気持ちがあって、ボランティアクラブなどに入っていました。そのうち、お医者さんになって人を助けたいと考えるようになりました。

進学校に入って医学部を目指しましたが、3年生になると成績が伸び悩んで、このままだと無理だと思ったんです。医学部の見学までしていましたが、方向転換した方が、いいなと思いました。

医学部以外にどんな選択肢があるのか。考えながら学校から帰ってるとき、いつも行くパン屋さんに寄ったんです。ここのパンおいしいな、ずっと食べられたらいいなと思いながらふとまちを見ると、周囲のお店はシャッターだらけ。まちが寂れていっていたことに気が付きました。

なんとかこの町を元気にしたい。そう感じて、建築デザインでそれができるんじゃないかと思ったのです。うちは父母ともに土地家屋調査士・測量の仕事をしていて、土地や建物が身近で。両親の興味のもと、小さいころから旅行に行ったらダムを見たり、新しい超高層ビルにのぼったりと、いろいろな建築物にふれていました。子どもながらに建築物の、空間の力を感じていて。

それに、暮らしに大きく関わる街や建物の仕事をしていたら、医学部に行かなくても、そもそも人が病気にならない環境をつくることができるんじゃないかとも感じて、建築の道に進もうと決めました。

―そんなきっかけがあったんですね!当時は、どんな建物をつくりたいと考えていましたか?

岡:建築を学んだ当初は、かっこいいデザインにあこがれていました。新しい素材を使ったかっこいいデザインで街並みを作りたい、そう思って卒業後真岡に戻ってきました。入社したのはデザインに特化した建築事務所です。しかし入ってみると、この地域で需要がなく、仕事がありませんでした。そこで再び上京し、大学のころお世話になっていた方のもとで学びました。インテリアやプロダクトデザインの仕事も多く手がけている方で、テレビのリフォーム番組などにも出演。古いものを新しい素材と組み合わせ、暮らしに適応させるのが得意な方でした。

そこで働いたのち独立し、再び真岡に戻ることに。東京にいても、自分の持っているもので真岡に貢献したい思いはずっとあったんです。東京にいると上には上がいて、どれだけやっても自分がちっぽけに感じられました。真岡をよくしたいという思いもあったし、役に立てるフィールドがあるとも思ったのでUターンしました。

しかし最初のうちは、頑張ってデザインしてもよくわからない、となかなか受け入れてもらえませんでしたね。

それでも地元で仕事を続けていた時、あるイベントをきっかけに益子町のstarnet(スターネット)の馬場浩史さんと出会いました。スターネットの建物の改装から始まり、ヘアサロンの新築や、太陽熱エネルギーを利用できるようにする馬場さんのご自宅の改修に携わったり。3年に一度の祭り「土祭」にも参加させていただき、真岡工業高校の生徒たちと一緒に非電化の冷蔵庫を作ったりしました。その中で、これまでの考え方が大きく変わったのです。

それまで素材もデザインも新しいものがいいと思っていましたが、覆されました。スターネットが大事にしていたのは、地域の素材を使いエネルギー負荷をなるべくかけない、環境に配慮したものづくり。素材は嘘をつかないのだと知り、漆喰や土壁、木の素地が愛おしいものにみえてきました。大事なのは、地域の人を巻き込みながら、そこにある資源をつかっていくこと。そうすることで、人々に愛されるものができていくのだとわかったのです。「サステナブル」ってこういうことなんだろうと思いました。

その後、自然素材にこだわる地域工務店さんともお知り合いになり、自然素材にこだわった環境負荷をかけない家づくりに取り組むようになったのです。

同じ方向を向く仲間と出会えた

―建物への考え方が、人との出会いのなかで変わってきたのですね。家だけでなく、まちづくりにも携わるようになったきっかけは?

岡:もともとまちを良くしたいと思っていましたが、誰にどう話したら進むのかわからなかったんですよね。一人で考え行動していてもなかなか変わらないし、考えを話すと周りから浮く感覚がありました。

そんなとき、真岡まちづくりプロジェクト(以下、まちつく)が始まったんです。メンバーになって地元の人といろいろなことを話し合う中で、同じ方向を向ける人がいることがわかりました。

まちつくにはアドバイザーの専門家の方はいるものの、誰かが上に立って俯瞰して見るのではなく、みんなでフラットにやる雰囲気があります。みんなが熱量を持っていて、自分だけが背負っているんじゃない、一緒にやれるんだと思えて楽しかったです。

しかも、メンバーには建設業など実際にものをつくって動かしている人たちがいました。たとえば、二宮のコミュニティセンターでイベントを考えていた時、「大きな土管があったら面白いんじゃないか」という意見が出ました。するとメンバーが、予算すらも使わずにリアルな土管をもってきて「自分たちで作っちゃえ」と(笑)。現場でやっているから、できることが見えているんでしょうね。大人が本気でまちづくりをしようと思ったらできるんだという感覚を持つことができました。

イベントには約1500人が来場してくれました。普段使われていなかった場所に、これだけの人が集まることがわかったのです。

一方その頃、コロナ禍のためにのみや商工会青年部の自主事業、夜桜×ジャズのイベント「Night blossom」は慎重に縮小方向で話が進んでいました。しかしその中で最大限、何ができるか前向きに考える方向にシフトチェンジ。次へつなげる一歩になるよう検討を重ね、小規模ながら2年間実施できなかったライブステージとテイクアウトのみの飲食ブースを再開し、開催できました。滞っていたまちが、動き出す予感がしました。

真岡から始められる。子どもが未来を見られる場所づくり

―ありがとうございます。それでは最後に、今後の展望を教えてください。

今後もやりたいことは変わらず、まちや暮らしをサステナブルにするための取り組みを続けたいです。運営しているにのみやニッチで人の流れを生み、まちなかに盛り上がりをつくることで、「このまちで何かを始めることができるんだ」と伝えたいですね。

ニッチをここにつくったのは、地域の方とのつながりを作りながら可能性を見せていきたいと思ったからです。小さくチャレンジできるスペースと、お店をやっていくノウハウを提供していきたいと思います。

特に二宮の商店街は、今のお店のままでもいいし、違う事業を始めてもいいので、後継者が生まれてほしいですね。建築士としての知識をいかしてこれまでの店舗を活かす形の提案をしたり、補助金が使えるよう話をしたり、この地域にいるからこそできることをして、一つでも多くのシャッターを開けたいです。

加えて、真岡の良さを感じてくれる若者を増やしたいとも思っています。たとえば、コミュニティセンターを、リアルに何かを生み出す拠点にできたらいいなと。今機能していないものを活かしてまちを楽しくして、子どもたちが未来を見られる場所をつくっていきたいです。

ハードルはあるけれど、そんなに高くはないはずだと思っています。これからも、ここが住みたいと思えるまちであってほしい。そのためにまずはニッチから、可能性を見せていきたいです。

取材、文章、写真 : 粟村千愛(真岡市地域おこし協力隊)