作品から覗く豊かな世界。障害者が街の中にいる風景を当たり前に【まちつくインタビューvol18.荒木裕美子さん 】
栃木県真岡市で、まちづくりに取り組む方々の想いを伺うインタビュー!今回は、多機能型事業所そらまめの生活支援員、荒木裕美子さんにお話を伺います。
創作活動から見える豊かさ
―荒木さんのご活動を教えてください。
多機能型事業所「そらまめ」の生活支援員として、障害を持つ利用者さんをサポートしています。そらまめの事業は、一般就労が難しい方々が調理や接客、手作り品の制作・販売などをしている「そらまめ食堂」、日常生活をサポートする生活介護事業所「アトリエファーべ」の2つ。私はその中で、そらまめ食堂で販売している新聞バックなどの雑貨づくりのサポートをしています。
また、毎週火曜日午後1時から、そらまめの利用者さんが自由に創作活動をする「そらまめ塾」を開いています。希望があれば、外部の参加者の方も受け入れています。東京藝術大学卒で障害者アートを指導している黒田太郎さんを講師に迎え、毎回、参加者が思い思いに絵を描いたりものを作ったりしています。出来上がった作品を商品化していくのも私の仕事ですね。商品にするために作っているわけではありませんが、作品として残しておくものと商品に使用するものを選んで、その魅力を形にできるよう考えていくのが役割です。
福祉の仕事は、どうしても支援「する側」と「される側」にわかれてしまいがちです。でも私は、障害者と言われる方々にも得意・不得意があるだけだと思っています。一人の自立した人間に対して、不得意なところをどうサポートできるかを心がけています。
利用者さんは、一般的な社会行動にマッチしない行動をしてしまうことがありますが、それには彼ら、彼女らなりの理由があるのです。なぜそんな行動したのか紐解いていくと、自分とは違う理由があって、自分の見ている世界の狭さに気がつきます。利用者さんの視点で世界を見直すと、いろいろな発見があるんです。
特に、創作活動をすると、言葉には出てこない感情が見えてくるのが面白いですね。生活介護の利用者さんたちは、言葉でのコミュニケーションができない方が多いです。散歩中に「こっちに行こうね」と言っても通じないことも。でも、ペンを持つと日本語として意味の通じる単語や不思議な文字、幾何学的な絵が出てくる人もいます。そらまめ塾に参加してくれた益子特別支援学校の女の子が描いた絵が、はじめて出展した展覧で受賞したこともありました。
一見しただけではわからない豊かさが、描くこと、つくることを通して現れてくるのです。作品をみて感じたことが、彼ら、彼女らの意図と合っているかはわかりませんし、彼ら、彼女らも気にしていないかもしれません。でも、何かを感じたり考えたりした、内側にある豊かな世界を、表現を通して見せてもらっていると、私は感じています。
そらまめ塾で教わったラベルのない世界
―今のご活動を始めたきっかけを教えてください。
子どもが小学生になるタイミングで、夫の故郷に家族でUターンしてきたことがきっかけです。私にとっては慣れない土地だったので、真岡を知るために何かボランティアをしようと思いました。ちょうどその時そらまめの求人を見つけ、2020年からボランティアを始めたのです。そこからお声掛けいただき、職員になりました。
―もともと、福祉やアートに関する仕事に興味があったのですか?
そうですね。元々は、中学生くらいから「人間ってなんだろう」と思っていて、自分が見えていない世界を見ている人に興味がありました。大学では心理学を専攻し、知的障害などについて学びました。
アートも、専門的に学んではいないのですが、昔から見るのは好きで、特に抽象絵画やコンセプトや意図がある現代アートが面白かったですね。なんなのかわからないのについ見入ってしまい、惹きつけられました。
ただ、心理学もアートも、学んだことを仕事にできる人はごく少数だと思っていて、そこに挑戦するほどの熱意はありませんでした。今なら幅広い関わり方があると分かるのですが、当時はそう思っていたのです。就職氷河期でしたし、生活のために就職することを優先。ホーム家電メーカーのカスタマーサポートの仕事に就いて、20年ほど働きました。
そらまめの求人を見たとき、中途半端に寝かせていた人生の宿題が目の前に現れた感じがしたんです。障害とアート、興味があったけれどやり残してきたものを、回収できるかもしれないと思いました。
―実際に携わってみていかがでしたか。
ボランティアで初めてそらまめ塾に来たとき、感動したんです。「こんな世界があるんだ」と。障害について学んでいたとはいえ、それまで私の中にも「障害者」というラベルはありました。できないことが多い人だと思っていたのです。それが、そらまめ塾では利用者さんたちが誰の手も借りずに、自分でいろいろなものを生み出していました。良い意味でショックを受けたんです。ドキドキして、興奮が止まりませんでした。
障害者というと、どうしてもラベリングが先に来て、かわいそうだとか、できないことが多い人だとか思ってしまいがちです。でも、そうじゃない。確かに一般企業のサラリーマンのようには働けないかもしれないけれど、適切なサポートがあればできることが多いのだと気がつきました。
こんな世界があるということを、ほとんどの人は知りません。私も実際に見るまで知りませんでした。多くの障害を持つ方々は、障害者というラベリングをされて、一般の人に会う機会がほとんどなく、交わらずに過ごします。外に出た時に嫌な想いをすることがあるので、守ろうとした結果、住む世界を分けて、できることをやって、なるべくストレスを溜めずに穏やかに過ごせるよう、周囲の人たちが環境を整えたのだと思います。
でも、私たちが成長するときにも、良い意味でのストレスはありますよね。障害を持つ方々は刺激が大きいとパニックになってしまうこともあるので、気をつける必要はありますが、社会に交わる機会が必要なのではないかと考えるようになりました。適切なサポートがあればできることがたくさんあるのだと、多くの人に知ってほしいと思うのです。
実際に、障害のある方々が社会と交わるプログラムを進めているところもあります。例えば東京藝術大学では、社会人向けに「アート×福祉」をテーマに「多様な人々が共生できる社会」を支える人材を育成するプロジェクトDiversity on the Arts Project (通称:DOOR)を展開しており、今年は私も履修しています。元引きこもりのアーティスト、外壁を壊して地域への間口を開いた老人ホーム、依存症は「甘えではなく孤立の病」とする精神科医など、現代の福祉をより広い視点で捉え直す多様な分野の専門家の講義は、福祉の可能性を感じてわくわくします。
ここで使われているアートという言葉は、絵や作品を指すのではなく、見える世界が変わるまでの体験・行為を指します。これは私たちの中でもできるのではないかと思うのです。考えが甘いと言われるかもしれませんが、障害を持った方々が社会に出て人と交わる機会、お互いに心が動き、世界が変わる機会を作っていきたいと考えています。
まちに出て、役割を持つ
―まちでも、障害を持つ方々との取り組みが増えてきましたよね。真岡まちづくりプロジェクトともいくつかプロジェクトを一緒に行いました。
真岡鉄道の久下田駅のウインドウアートを手掛けたり、ドッグランをつくるときに柵や看板をデザインしたりしましたね。中高生が小学生に勉強を教え、おやつを食べる「寺子屋ドーナツ」の返礼品のポストカードにも採用していただきました。
それから、新しくできる複合交流拠点の、工事中の仮囲いに飾る絵も担当。障害を持つ方を含め100人近い参加者が集まり、約40枚のベニヤ板に大きな絵を描きました。
さまざまな活動の中で、障害を持つ方々の作品が目に止まる機会が増えてきたと感じています。好意的に声をかけてもらえることも多いので、ネットワークを繋げていきたいです。
まちづくりをする上でも、障害を持つ方々がまちに出ていくことが大事だと思うのです。いろいろな属性のある方がいることが、自然な状態じゃないですか。障害者だから大人しく穏やかに生活するという考え方もあると思いますが、まちに出て、社会の一員としてできることを見つけていくことも大切だと思います。例えば生活介護の方が散歩に出かける際にゴミ拾いをしたり、一人暮らしの高齢者のお家の見回りをしたりすることで、散歩が社会貢献になりますよね。
最初は言葉が通じないので対応しにくいかもしれませんが、それが日常になれば「どうも」と自然に挨拶が出るようになっていきます。真岡でも、そんな日常を作っていけるといいと思っています。
良い意味で「特別扱い」のない日常を真岡に
―最後に、今後やっていきたいことを教えてください。
まずは、障害を持つ方々といわゆる一般の方々との出会いの場づくりをしていきたいです。絵を描いたりものを作ったりする創作活動は一緒にやりやすいので、そこから始めていければと思っています。徐々に座談会や学びの場など、突っ込んだ企画をしていけるといいですね。
また、障害者アートを展示したり、グッズ化したりしていきたいと思います。そらまめ食堂やそらまめ塾で作った作品は、「いいね!」と言ってもらえることが多いんです。
例えばまちの企業さんの商品パッケージや名刺をデザインしたり、飲食店や公共施設、まちのちょっとしたところに作品を飾ってもらったり。作品がまちに出ていって、人の目に止まる機会が増えるといいなと思います。作品が商品になれば、結果的に利用者さんたちの収入にもなります。
ただ、「障害者だから」ではなくて、「かっこいいね、面白いね」と思ってもらえるようにしたいと思っています。良い意味で特別扱いするのではなく、彼ら、彼女らの作品が、そして彼ら、彼女ら自身が、まちに溶け込む日常を当たり前にしていきたいです。