見出し画像

まちつくインタビュー vol.6 大瀧武志さん

行動できる馬鹿であれ!大人の本気がアイデアを実現する。

真岡市で大瀧建設の長男として生まれ、仕事を通して地域の人が喜んでくれる姿を見て育ったという大瀧武志さん。やがて自身も社長となりますが、うまくいくことばかりではなかったそう。そんな中で大瀧さんが見つけた道とは?実現したい未来とは。お話を伺います。

大瀧 武志(おおたき たけし)

栃木県真岡市生まれ。日本大学卒業後、建設会社に入社し土木工事を担当。2005年にUターンし、家業である大瀧建設株式会社に入社。2015年、代表に就任。同年真岡まちづくり株式会社を創業し、代表を務める。一般社団法人真岡商工会議所2015年度理事長。真岡まちづくりプロジェクトにも携わる。

地域に喜んでもらえる仕事

―大瀧さんのご活動を教えてください。

大瀧建設株式会社の代表取締役をしています。大瀧建設の創業は1946年。祖父の代から地域に密着して続いてきた会社で、地域の人を裏切るような工事はしないことを大事にしています。

社員は16名ほどで、協力会社とともに工業団地などの建築工事をメインに、土木工事も一部請け負っています。規模の大きな仕事もしますし、地域の人からの頼まれごとはほとんどなんでもやりますよ。

それから、真岡まちづくり株式会社の代表も務めています。私が2015年に一般社団法人真岡青年会議所(以下、JC)の理事長をしていた時、支えてくれた副理事長メンバーと一緒に創業しました。

まちにいろいろなプレイヤーがいる中で、俺たちにしかできないことをしようと様々な活動をしています。たとえば、真岡市で初開催となった街コン。市内の隠れた名店をめぐる企画にして、出会いとまち歩きを楽しんでもらいました。それから、農業に関する提言ですね。農業従事者が高齢化していく中で、少ない人数で効率的に生産できる大規模化を進められないか検討しています。2021年には真岡まちづくりプロジェクトにも参加しました。

―ありがとうございます。おじいさんの代から続く会社を継がれていますが、もともと後を継ごうと考えていたのですか?

そうですね。長男として生まれたので、面と向かって言われたわけではないですけど、後を取るものだと思っていました。だから小さい頃から、どういうステップで家を継ぐのか、建設業やるためには何をすればいいかを考えて大学を選びました。卒業後は6年ほど別の会社で修行して、自社に戻っています。

―ほかの進路は考えなかったですか?

道は一本しかなかったですね。自分で納得していたし、他の道があると考えたことがなかったです。会社が大好きだったんですよ(笑)。「ここで仕事したい」と思えるのは大瀧建設だけでした。

小さいころから家の近くに工場があって、内容ははっきりわからなくても祖父や父の仕事ぶりを見ていたからだと思います。うちの近所の地区は小さくてもまとまりがあって、近所の人が何か困っていたら手を貸すのが当たり前なんです。溶接して芋をもらったとか、何か手伝ったお礼に食材をもらうことがよくありました。

2011年に東日本大震災があったときは、自分もできることをしました。まだ寒い時期だったので、近所のトマト農家はハウスのシャッターを閉めないとトマトが全部だめになってしまうんですね。それなのに停電してシャッターが下ろせない。そこでうちにあった発電機を持っていき、トマト農家を回ってシャッターを下げていきました。何億もの損害を食い止めることができてよかったです。あれからは、トマトに困ったことはないですね(笑)。そんな風に地域の中で仕事をして、感謝が見えるのがいいなと感じていて。祖父の代から地域の方々に良い会社だと言ってもらえていましたし、自分もそうありたいと感じていました。

馬鹿になれない自分を超えて

―地域への活動はそういった思いから始められたのですか?

いえ、地元に帰ってきても、最初は全く考えられていなかったですね。大学は市外に出ていましたし、地元のことがよくわからない、つながりもない。仕事でも、私は土木工事を担当していたので建築のことがわからなくて。独学で学んで一級建築士の資格をとったものの、これといって特技もないし自信がありませんでした。

地域で活動するようになったのは、JCでの経験が大きいです。JCに入って先輩と交流する中で、営業の仕方などいろいろなことを学ばせてもらいました。それから、公益社団法人日本青年会議所のフォーラムに参加して衝撃を受けたんです。そのフォーラムでは「経営者がすごいと思う経営者」が登壇して講演しており、話を聞いて感銘を受けました。日本青年会議所はこういうことができるんだ、やってみたいと思い、運営に立候補。全国700ほどある青年会議所がそれぞれあげた事業の中から、良い事業を表彰する委員会の副委員長になりました。

集まってくる事業の中には、ずば抜けて考え抜かれているものから、人数集めのように見えるイベントまでさまざまなものがありました。全国の事例を見られたことで視野が広がりましたね。加えてそこでの日々は、真岡で学んだこと、今の自分の考えはどれくらい通用するのか試す機会でした。審査をして表彰式をするまで本当に大変でしたが、とことんやってやろうと取り組むことができましたね。

そのとき思い出したのが、中学生の時に先生から「大瀧は馬鹿になれ」と言われたことでした。その頃の私は勉強がそこそこできたし、学園祭でも盛り上がる生徒を横で見ているような、斜に構えたタイプ。一生懸命何かをやるのはカッコ悪いと思っていました。でもJCで思い切りやってみて、先生が言った「馬鹿になれ」の意味が分かったんですよね。

全力でやりきった結果、全国でも通用するんだと自信がつきました。実はそれまでも周りから、いずれJCの理事長をやるんだよと言われていたんです。でも、歴代理事長のようになれる自信がなかったんですよね。日本青年会議所で副委員長を務めて2年後、自信をもってJCの理事長に就くことができました。

理事長になると、市の政策への提言活動に参加するなど市の仕組みがわかるようになりました。しかし、参加した場で出た案をより良いものにしたいと意見を言っても、なかなか通らないんですよね。であれば民間側からできることはないかと、2015年に真岡まちづくり株式会社を立ち上げました。

多様なメンバーが一緒にやるから前に進める

―民間側からまちづくりに取り組まれていたんですね。真岡まちづくりプロジェクト(以下、まちつく)に参加したきっかけは?

まちつくを立ち上げ、運営事務局をしている市役所職員の林大輔さんに会ったことがきっかけです。それまで県や市にいろいろ考えて提案していましたが、受け入れられないことが多かったんですね。一方で、民間でやろうとすると、まちのことを考えていたとしてもどうしても利益追求に見られてしまう。それで悔しい思いをしていました。

加えてその頃、新しく市役所付近に複合施設をつくる話が出ていて。ただ施設をつくるだけではなく、店舗の多い門前地区へ人の流れをつくれると良いなと考えていたんです。

使われていない公共空間を利活用したいと考え行動している林さんのような職員がいるなら、一緒に何かできるんじゃないかとプロジェクトに参加することにしました。

―やってみていかがでしたか。

最初は正直、高校生、大学生の意見から物事を進めるのをまどろっこしく感じることもありました。自分たち大人でやった方が速いからです。でも、違いました。彼らのアイデアを形にしていく中で、市役所2階の青空ステーションを学生に開放し、人の集まる場所にすることができました。利用者が増えたのは予想外で、良かったなと思いましたね。

ほかにも、五行川河川緑地のRIVER+や二宮コミュニティセンターでのイベントも数千人の来場者があり、盛り上がりを見せました。これまで活用できていなかった場所でいろいろなことができる可能性を見せることができたと感じています。

活動の中で、若者が育っていく将来への希望を感じました。そこに大人が協力していくことで、彼ら、彼女らが住みたいまちになっていくだろうなと。これまで、その方が速いからと自分たち主体で進めていた活動は、実は遠回りだったんです。学生や行政とともに考え行動し、周囲に信頼してもらう中で、徐々に道が広がるんだなと感じましたね。より良いまちづくりをするためにはこの道だったんだなと感じています。

カレーパーティーにてピッコロに扮する大瀧さん(左)

本気で行動できる馬鹿になれ

―最後に、今後の展望を教えてください。

会社としては、地域から「良い会社」と言ってもらえる会社であり続けたいと思います。一方で、相手の困りごとを解決するだけでなく、こちらからも提案して仕事をつくっていけるようにしたいですね。

まちづくりに関しては、農業分野にメスを入れたい気持ちがあります。担い手不足の問題は深刻なので、畜産などと組み合わせて何か取り組みができればと考えています。

真岡が、いろいろな人から選ばれる場所になるのが理想ですね。そのためには農、工、商それぞれの分野で課題があります。組織ごとの縦割りではなく、横で連携して取り組んでいくことで、その解決策が生まれるはずです。

それから、実際に動くことが大事ですね。良いことを言える人、計画を立てられる頭の良い人がいたとしても、実際に動かなければ進みません。せっかく良いアイデアがあるのに、口にするだけで終わってしまうのはもったいないし、悔しいと思うんです。

中学生のときの自分のように、何もしないでカッコつけているのがかっこいいわけじゃありません。あれはカッコ悪い男だった(笑)。今は、あのとき先生が言っていた、がむしゃらに行動できる「馬鹿」でありたいと思います。このまちに、馬鹿になれる人が増えてほしいですね。実際に動いてみると難しいことが多いですが、諦めずにやり続け、自分の子どもたちがここで仕事し子育てしたいと思えるまちにしていきたいです。

取材、文章、写真 : 粟村千愛(真岡市地域おこし協力隊)