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メーカー勤務→自家焙煎珈琲店を起業。一杯のコーヒーからつくる、地域と繋がる豊かな暮らし。【まちつくインタビューvol.15 蒲谷英和さん】

栃木県真岡市で、まちづくりに取り組む方々の想いを伺うインタビュー!
今回は、自家焙煎珈琲店「真岡珈琲ソワカフェ」を営む蒲谷英和さん。ものづくりが好きでメーカーに入社し、技術者として働いてきましたが、50歳で一念発起。家族で自家焙煎珈琲店を始めました。蒲谷さんが珈琲店を始めた理由、そしてコーヒーを通してつくりたい未来とは?

蒲谷 英和(かばや ひでかず) 自家焙煎珈琲店「真岡珈琲ソワカフェ」店主
神奈川県横浜市生まれ。中学生の時、親の転勤で真岡市へ。真岡高校、神奈川県の大学を卒業後、メーカーに技術者として入社し栃木県の工場に配属となる。50歳で退職し、自家焙煎真岡珈琲ソワカフェをオープン。当初は焙煎豆の販売のみだったが、カフェスペースももうけ、地域とのつながりを生む場づくりも行っている。

自家焙煎真岡珈琲ソワカフェ:自家焙煎真岡珈琲ソワカフェ 公式ホームページ – A cup of coffee for your life! (sowacafe.com)


コーヒーはコミュニケーションツール

―まず、蒲谷さんのご活動について教えてください。

コーヒー豆の自家焙煎と販売を行う、自家焙煎真岡珈琲ソワカフェを家族で営んでいます。

コーヒー豆は、煎ってから時間が経つにつれ急激に香りや味わいが劣化していきます。地域のお客様と距離が近いのが強みですから、できるだけ煎りたての新鮮な豆をお届けしたいと考えています。ただ豆を販売するだけでなく、家でのコーヒーの楽しみ方のコツをお伝えするなど、コミュニケーションを取れるのも地域の焙煎屋ならではですね。

私は元々メーカーで働いていて、ものづくりが好きなんです。どうすればより良いものができるか、どこが重要なポイントかを見極めて試行錯誤するのが楽しいですね。それから、この地域ならではのオリジナル商品もつくっています。例えば、栃木県立博物館の協力を得て、企画展とコラボしたオリジナルコーヒーを考案。テーマが「甲殻類ワールド」だったときは、カニの甲羅から作られるキトサンを少量ブレンドした「キトサンブレンド」を開発しました。あっと驚くような、ユニークな商品も作っていきたいと思っています。

コーヒーは嗜好品で、飲んでお腹がいっぱいになるわけでもありません。それでも古くから、大勢の人に愛されてきました。コーヒーの役割はコミュニケーションツールだと考えています。

昔から、珈琲屋は人と情報が集まる場でした。性別や年齢、身分にかかわらずさまざまな人が訪れ、コーヒーを飲みながらざっくばらんにディスカッションしていたのです。「フランス革命は珈琲店から始まった」という話もあるくらいです。程よい覚醒作用があり、お酒のように酔いすぎてしまうこともない。人と話しやすくなるツールとして優秀だからこそ、何百年も生き延びてきたのでしょう。

そんなコーヒーを通して、ここに住む人と地域とのつながりを、この地域に愛着を持つきっかけをつくれれば良いと思っています。特に会社で働いていると、地域とのつながりはなかなか持ちづらいと思います。しかし、会社はいずれやめなければならない時が来ます。退職後に会社に行かなくなると、仕事でのつながりはなくなってしまいます。一方で地域とのつながりは、生きている限りなくならないものです。だからこそ、特に忙しく働いている世代に向けて、違う生き方、考え方をする人と出会い、人生をより豊かにする機会を作りたいと考えています。

会社をやめたら終わりだと思っていた

―元々は会社員だったそうですが、どうして珈琲店を始められたのですか。

起業したのは10年前になります。私は元々横浜の生まれで、中学生のとき親の転勤で真岡へ引っ越してきました。そのまま県内に工場があるメーカーに就職し、技術者として働いてきました。親も親戚もメーカー勤務が多かったので、当時サラリーマンになることに疑いはなかったです。

しかし、働いているうちに疑問を感じるようになりました。一生懸命作っているこの製品は、誰が喜んで誰がお金を払ってくれているのか。大きな会社だったので顧客の顔が見えず、誰のために働いているのかわからない状態になってしまいました。加えて年齢を重ねると、本来やりたい技術の仕事よりも管理調整業務を求められ、やりがいを見出しにくくなりました。それでも、責任感から休みの日も仕事のことばかり考えていて、毎日は仕事一色。仕事とプライベートをうまく分けられれば良かったのですが、自分にはそれができませんでした。当然、地域とつながりを持つような余裕もなかったです。

家族親戚はみんなサラリーマンでしたし、会社をやめたら人生終わりだと、死んでしまうだろうと本当に思っていました。それ以外の生き方を知らなかったんです。体調を崩したことをきっかけに、地域の同業種の工場など、サラリーマンとしての転職の可能性も模索しました。しかし、すでに50歳。結論として、今からそれは厳しいと思いました。ならば、全く別のことを始めるべきではないかと思ったのです。

自分には何ができるのか、強みは何なのか。死ぬまで家族でなんとか食べていけるくらいの収入を得るためには、どうすればいいのか。加えて、これまで別々の会社で働いていた妻と一緒に仕事をしたいという思いもありました。結婚しているものの、お互い別の会社に努めていると人生の大部分の時間、別々に生活することになります。せっかく一緒に暮らしているのだから、仕事も一緒にやりたいと思ったのです。

パン屋や本屋、福祉施設でアルバイトをしてみたり、資格を取ることを考えたりしました。いろいろな仕事を検討した結果、たどり着いたのが焙煎屋でした。偶然、真岡には焙煎屋がなかったので、コーヒー豆を買って飲む愛好家の方々に買いに来ていただけるだろうと予想しました。焙煎にはものづくりで培ってきた技術を生かすこともできるので、これなら自信を持って製品を作れると思ったのです。妻と一緒に、コーヒー豆を製造販売する焙煎屋として事業をスタートさせました。

焙煎の仕事はおもしろいです。ただ、店を知ってもらうための情報発信が難しいですね。ホームページを作ったり、SNSを運用したりとなんでも自分でやってみました。試行錯誤していましたが、得意なものづくりで地域に関連したユニークなコーヒーを開発すると、メディアにも取り上げていただけるようになりました。

海外から届いた生豆を焙煎する蒲谷さん。焙煎方法について楽しそうに教えてくれました!


―いまはカフェスペースも併設されていますよね。

焙煎屋だけだと、入ってきていただくハードルが高いなと感じて、カフェも始めました。店で飲むのと同じ香味を家でも楽しめるよう、我々がコーヒーを淹れるときに使っている道具の販売もしています。淹れ方セミナーも毎週開催していますね。コーヒー文化を広げていきたいと考えています。

コラボイベントでコーヒーの力を実感

―2023年には、図書館や写真館などとコラボレーションしたイベントも開催されていますよね。こうした活動は、なぜ行うようになったのですか?

店をはじめた当初から、自分たちの利益を上げるだけではなく、まちのためになる活動がしたいという想いがありました。しかし、やりたいことがあっても、店の利益のための活動と見られてしまい協力を得るのが難いことがあり、自分だけでできることも限られていて、なかなか思うように動くことができていませんでした。

そんな中、2021年に真岡市で真岡まちづくりプロジェクトという取り組みが始まりました。高校生から大人まで、幅広いメンバーがアイデアを出し合い、やりたいことを実現していくプロジェクトです。その第1回の話し合いの際、地元の事業者ということで呼んでいただき、コーヒーを提供しました。

建物の外の芝生に立てたパラソルの下で、さまざまな人がコーヒーを飲んで語り合っていました。それを見たとき、心から良い風景だなと思ったのです。コーヒーの力は、こんな出会いの場をつくることなのではないかと思いました。

そのあとしばらく時が過ぎ、2023年1月、市内で開催された映画祭に出店しました。主催していたのはにのみやニッチさん。こんなイベントをつくれるのかと驚きました。

どうやったらこんなイベントを主催できるのかと運営者の岡綾さんに聞いたところ、真岡まちづくりプロジェクトとコラボレーションしているとのこと。コラボできるのだと知り、事務局に相談するようになりました。

そこから、真岡まちづくりプロジェクトのサポートを受けながら、猪瀬写真事務所さんと共同企画で、真岡鐵道さんなどにもご協力いただいて「珈琲とカメラとSL」を開催したり、図書館とコラボした「珈琲と本と図書館」を開催したりすることができました。

自分の店だけだったら、こんな風に関係各所から協力を得ることは難しかったと思います。コラボして企画をつくれたことは、自分にとって大きな出来事でした。コラボレーションすることで、これまでつながれなかった層の方々にもソワカフェを知っていただくことができると感じています。

「珈琲とカメラとSL」。桜咲く久下田駅で、SLの撮影とコーヒーを楽しんだ。
「珈琲と本と図書館」。参加者がお気に入りの本をプレゼンして面白さを語り合った。栃木県を舞台にした小説に登場する大正時代の冷やしコーヒーも再現!


コーヒーを通じて、地域とつながるきっかけを

―最後に、今後の展望を教えてください。

企業として大きくなりたいわけではなくて、細く長く、100年続くような珈琲店をつくりたいですね。地域とともに歩み、お客様と長く関係性を築けるような店にしたいです。自分たちが食べていくために利益は必要ですが、それを追求するだけでなく、地域課題の解決に取り組める店でありたいと思っています。

特にやりたいのは、働き盛りのお父さん、お母さん世代が地域に親しみを持つ機会を、コーヒーを通じて提供することです。仕事が忙しくて、休みの日も子どもの相手や家事で時間がない、そんな方にこそ、仕事の外の地域とのつながりを感じてほしいと思っています。仕事終わりでも寄りやすいよう、営業時間は20時までにしています。ほかにもさまざまなコラボを通して、こうした場所があることを知っていただきたいですね。

50歳で起業して、プライベートと仕事の境目がない日々になり、地域とのつながりが広がりました。さまざまな人との出会いで、生活の質が上がっていることを実感しています。例えば、SLが走った日は鉄道が好きな人が店に集まり、話に花を咲かせます。それを聞いているうちに、私もSLが好きになりました。そうして世界が広がっていくのだと感じます。

今は59歳ですが、60歳以降も地域の仲間たちと楽しく暮らしていけそうです。ボケないと思いますね(笑)。収入も少なく毎日忙しいこんな生き方に付き合ってくれる妻にはずいぶん苦労をかけています。妻とSLを眺めながらコーヒーを飲める、のんびりした喫茶店を開くことが今の夢です。