まちつくインタビューvol.9 上澤宏行さん
「ここが地元」と思えるまちを子どもたちに。仕事最優先の自分が知った地域の大切さ。
真岡市の鶴見建設株式会社代表を務める上澤宏行さん。真岡には就職のため住み始め、仕事以外に時間を使うつもりはなかったと言います。そんな上澤さんが地域に目を向けるようになったきっかけとは?そして人生の半分以上を真岡で暮らしたいま、改めて地域に思うこととは。お話を伺います。
上澤 宏行(うえさわ ひろゆき)
栃木県鹿沼市生まれ。高校卒業後、いろいろな職を経験し母方の祖父が経営していた鶴見建設株式会社に入社。建設の仕事の面白さに目覚める。一般社団法人真岡青年会議所の会員となり、2020年度には理事長に就任。栃木県建設業協会員。真岡まちづくりプロジェクトにも携わる。
建設が楽しいと思える環境づくり
―はじめに、上澤さんの現在のご活動を教えてください。
鶴見建設株式会社の代表をしています。道路や橋の建設などの土木工事と、道の駅やコミュニティセンターの改修などの建築工事、両方行っています。社員は約20人。関東を中心に、さまざまな現場を手掛けています。
鶴見建設の創業は大正9年。母方の叔父から会社を引き継ぎました。長く続く会社だからこそ、その時々の経営者が色を出していかなければならないと考えています。私は、若い子たちが働き続けたくなる会社にしたいですね。たとえば建設会社ではどうしても、入社したての10代、20代が上の年代の人の色に染まりやすいところがあります。そうではなく、若い子たちが自分の色を出しやすくしていきたい。いまは4、5人若いメンバーがいるので、そんな環境づくりを心掛けています。
会社以外でも、県、郡、市の建設業組合や、二宮商工会、地域の組織にも所属し、真岡まちづくりプロジェクトにもメンバーとして参加しています。目指しているのは、子ども世代が大きくなったとき楽しいと思える環境をつくること。2022年は県の栃木県建設業協会が100周年になる年なので、栃木県で初めて子どもが建設業を体験できるようなイベントの開催を検討中です。建設業も地域も担い手が大事。若手を育てたいと考えています。
仕事が一番だった自分。JCで地域と人材育成の大切さに気付く
―建設業者としても地域の一員としても、若手の育成に取り組まれているんですね。もともとそこにご関心があったのですか?
いやいや、全然。最初は自分の仕事のことしか考えていなかったです。
私はもともと鹿沼市の出身です。父方が家具屋で、小さい頃から家具の配達などを手伝っていました。家族で家具店を経営している意識より、手伝いが大変という感覚が強くて。高校卒業後は、家業ではなく別の職業に興味を持ち働き始めました。
ただ、長続きしませんでしたね。やりたいことが見つからず、どの仕事にも愛着が持てませんでした。何かを決めなくちゃいけない感覚だけがありました。
そんなとき、母方の祖父が社長をしていた鶴見建設に来てみるかと誘われ手伝うことに。旧二宮町に来たことでよく遊んでいた地元の友達と離れてしまいました。旧二宮町には友達がいなかったので、仕事に集中せざるをえなくなりました。
しかしそういう環境になると、徐々に仕事が楽しくなったんです。現場は一つずつ違い、土木工事では何ヘクタールもの土地を区画整備して田んぼ、水路、道路をつくったり、橋や河川をつくったりしました。建築工事では図面を描きながら細かな収まりを考えていき、設計図を現実化していきました。平面だった図面が立体になっていく、思い描いたものが実現していくのが面白かったです。夏は暑いし冬は寒いので大変な仕事ですが、大きな達成感がありました。新しいプロジェクトが次々現れるので、5年ほど経つ頃にはすっかりものづくりにはまっていましたね。
ただ、まちのためとか、何かのためじゃなかったですよ。まちのために時間を使うなら、少しでも売り上げを上げてやれと思っていました。
―意外ですね!そこからどう変わっていったのですか?
真岡青年会議所(以下、JC)に入ったことがきっかけですね。社長である叔父がJCのOBだったので、会社にもよくOB仲間が遊びに来ていたんです。ある日、ふとOB仲間の方に「会社のことで悩んだ時に相談する相手はいるのか?」と聞かれました。私が「そんな相手はいらないし、相談している時間はない」と答えると、社長がパッとやってきて「明日からJCに行くように」と言いました。翌日には本当にJCに連れていかれていましたね。
正直、なんで自分が行かなきゃいけないんだと思っていました。JCは地域のために奉仕する団体というイメージ。自分の中の優先順位はまず仕事、時間が余ったら奉仕活動とはっきりしていました。JCには、自分が時間を使わなくても会社が回っているような上の立場の人が参加しているのだろうと思っていたのです。俺にはそんな時間はない、と。
そんな風に最初はすごくギャップがあって、1年くらいはほとんど活動していなかったと思います。しかし会員の方と付き合っていくにつれて、思っていたのと違うことに気が付きました。みんな馬鹿みたいに忙しいのに、馬鹿みたいに活動しているんですよ(笑)。仕事はちゃんとやる、売上もあげられる。その中で時間を空けられないか考えて行動している。余った時間に奉仕活動しているわけじゃなかったんです。自分とは時間に対する考え方が違うんだと感じました。
知ってくうちに、自分もできることからやってみようと思い始めたんです。そんなとき、JC内部の委員会で委員長になり、会員数を増やす担当になりました。地元じゃないし、つながりもない自分にできるわけがないだろうと思いましたが、「できるから」と言われて。営業は自分の得意分野。そこで失敗はできないと、必死で考えました。
はじめは自分がツテを持っていなければ入ってもらえないんじゃないかと思っていましたが、JCには会員が80人います。それぞれ2人紹介してもらえれば160人。ちゃんと魅力を伝えられれば、入ってもらえるはずだと思いました。まずは10人ほど動いてくれる仲間をつくり、そこから輪を広げていきました。結果、数十人の会員が増え自分の責任を一層感じるようになっていきました。
それをきっかけにJC内の事業を育てる役割になり、仲間をサポートするように。いろいろなメンバーとプロジェクトを作る中で、全国の青年会議所が所属する日本青年会議所のアワードを受賞するような実績も残し、JCへの考え方が変わってきました。ここは時間のある人の集まりではなく、自分を成長させ、人の育成をサポートする、人材育成の場なんだと。実際、JCでの経験が会社での社員教育にも生きました。
加えて、立場が上がると真岡の外の人とも絡むことが増え、この地域のことを考えるように。地域と仕事もつながっていると改めて感じました。人が成長することで地域が成長し、地域が成長することで会社も成長する。企業活動と地域での活動はどちらが上とか下とかではなくつながっていて、双方で人を育てることが大事なのだと学びました。
民間×行政タックの可能性
―考え方が大きく変わったんですね。そんな中で、まちつくの活動に参加された経緯は?
きっかけはJCの先輩に誘われたことです。先輩の言うことには「はい」か「イエス」で答えるよう教わっていましたし(笑)、地域活動に関心もあったので参加することにしました。
真岡には、「あそこがあるから遊びに行こう」と思えるようなビックコミュニティがなくて、自分の子どもも遊びにいくとなると地域の外に出て行っていました。いきなり大きなコミュニティをつくるのは無理でも、小さくても「ここが好き」と思える場所を増やしていきたいなと思っていたんです。
2021年のまちつくでは、せっかく整備されていても使われていない、もったいない場所を活用してそんな場所を作れたと思います。
―具体的にはどんな活動を?
大学生とともに二宮コミュニティセンターを活用するチームとして活動しました。子どもが来たくなるコンテンツが欲しいという意見が出て、いろいろ話すうちに「大きな土管があったら面白いよね」という案が。コンクリート製品を扱う会社に連絡し、捨てられる予定の土管をもらいにいきました。その後、自分たちで塗装して芝生広場に設置したんです。
その広場を活用したイベントを開いたところ、約1500人が来てくれました。さらに、幼稚園の先生がそれを見て、土管を引き取りたいと連絡をくれたんです。想像を超えた大きな動きになって、民間と行政とのタックによる可能性を感じましたね。突飛なアイデアも出るし、このメンバーならそれを形にしていけると思いました。
住みたくなる「地元」をつくる
―ありがとうございます。それでは最後に、今後の展望を教えてください。
会社と地域との共存共栄を目指していきたいです。地域が盛り上がれば会社も生きる。地域活性化のお手伝いができればと思っています。
その一つであるまちつくには、今後も関わっていきます。若者が描いた絵を形にするために、足りないものがあれば大人が力を貸して、若い人たちが「これをやってよかった」と思えるようにしたいですね。この地域に残りたいと思う若者が増えたらいいなと思います。
私自身、真岡での暮らしがちょうど人生の半分になりました。もともとは外の人間ですが、長く住んでいるとここを地元として話したくなってくるんですよね。この間飲んでいるとき、「人生の半分住んだから、ここを地元といってもいいかな」と言ってみました。
ここには、毎日飲み歩いたとしても毎日話せる人がいますし、怒ってくれる先輩もいます。多くの人と関わる中で、「地元だ」と思えるようになりました。自分の子どもたちも、そんな人とのつながりがある環境の中で育てたいと思っています。それには遊べる場所や働きたい場所があって、大人になっても友達がいっぱい住んでいることが大事だと思うんですよね。地域を盛り上げながら、そんな場所をつくっていきたいです。
取材、文章、写真 : 粟村千愛(真岡市地域おこし協力隊)