地域で働く人の顔と仕事がつながる機会を。やりきった先に見えた、つくりたい地域の形【まちつくインタビューvol20.鈴木成人さん 】
栃木県真岡市で、まちづくりに取り組む方々の想いを伺うインタビュー!今回は、住宅や工場など外部工事を幅広く行う株式会社SKB代表、鈴木成人さんにお話を伺います。
建物の外装をトータルプロデュース
―鈴木さんのご活動を教えてください。
株式会社SKBの代表をしています。 屋根、外壁、雨樋などの施工からデザイン、外部工事をトータルで請け負う会社で、住宅から工場まで幅広く対応しています。
元々は、祖父が藁屋根の職人、父が板金業をしていて、私は3代目。34歳のときに株式会社化して、2022年で10年経ちました。築いてきた実績や信頼関係から、県内だけでなく関東一円で仕事を請け負っています。
ー具体的には、どんなお仕事がありますか。
例えば、先日は益子町の住宅の外装工事を一括して担当しました。まず工事をする前に、お客様のイメージを伺います。お客様はスマホで「こんな感じがいい」といくつかイメージを見せてくれましたが、お客様自身が何か迷っている感じがありました。そこで、「シルバー系の外壁が良い」というお客様のご希望以外にも、何パターンかイメージを用意しました。
すると、最初の希望を180度転換して、私の提案したモスグリーンの壁に茶色い屋根の家を気に入ってくださったのです。「これすごくいいですね。一目惚れしました!」と言っていただけて。お客様に納得いただける外装に仕上げることができました。
お客様もいろいろと調べていただいていると思いますが、私たちはさまざまな商材への知識や情報量を持っています。その中からうまくスタイリングして、より良い案を提案するようにしています。最近は、デザインを任せてくれる若いお客さんも増えていますね。
自分の感性を生かして、お客様のイメージを具現化していく作業は、とてもやりがいがあります。うまくいってお客様のイメージ以上を提供できた時は、大きな達成感がありますよ。
ーイメージを実際に形にされていくお仕事なのですね!鈴木さんが、仕事の中で大事にされていることはなんですか?
技術はもちろんですが、いま、大切にしているのは職人のイメージをより良いものにすることです。職人というと、「ぶっきらぼうで無愛想で、髪を染めていて近寄り難い」みたいな、偏ったイメージが先行していると思うのです。良い人は多いのですが、どうしても見た目から入られてしまって、若い人が業界から離れていく一因にもなっています。
そんなイメージを変えたいと考え、より親しみやすい職人のいる職場を目指しています。作業服一つとっても、おしゃれな作業着を導入するなど、いろいろな取り組みをしています。その甲斐あってか、2023年には21歳の社員が入ってきてくれました。その子の趣味である野球を、会社がスポンサーとなって応援しています。建築業界の組合でも、若者の採用は大きな課題です。ノウハウを共有しながら、職人さん全体のイメージを変えていきたいですね。
加えて、特に地元の仕事は大事にしたいと考えています。業者が乱立する中で、悪徳業者も少なくありません。地域の方から「飛び込みで見積もりがきたけど、これってどう?」と聞かれることがあるのですが、見てみると「こんなにかからないよ」と驚くことも。地域の方々にはなるべく、無駄なお金は使って欲しくありません。顔の見える関係性の中で、適正価格で請け負うことを大事にしています。
それから、地域での活動にも力を入れています。今は、小学校のPTA会長、真岡市の若者会議や、真岡まちづくりプロジェクトのメンバーとして活動しています。仕事や活動を通じて、地域も高めていきたいと考えています。
事業の承継への迷いと決意
ー今のお仕事につくまでの経緯を教えてください。
父が個人事業主をしていたので、子どもの頃から漠然と「継がなきゃいけないのかな」と思っていて、高校2年生のとき、進学せずに家で仕事することを決めました。しかし、2年ほど経った20歳の頃、このままでいいのかなと感じるように。仕事が嫌というわけではありませんでしたが、一度しかない人生だし、やりたいことをやってみてもいいんじゃないかと思ったのです。その後約5年間芸能関係で働くことに。家と東京を行ったり来たり、様々なことを経験しました。少しずつ結果が出てきましたが、父の仕事の従業員が辞めることになり現状と家族の事、技術の継承を考え父の仕事である建築板金の道へ。5年間ではありましたがとても濃密な時間で人生観がガラッと変わりました。外に出て広い世界を知れたことは、今の自分にとってプラスになっていると感じますし原動力にもなっています。
ー真岡に戻ってきてからは、どのように事業を継いでいったのですか。
それまではほとんど父に言われたことしかやっていませんでしたが、主体的に取り組むようになりました。
覚悟を決めると出会いが始まるもので、息子の幼稚園で一緒になったお父さんがたまたま設計士で、仕事の依頼を受けたのです。初めて自分で商材を選び、問屋さんに電話して、見積もりを作成。仕事をつくることができました。
だんだん仕事が取れるようになってきた30歳の頃、東日本大震災がありました。復興事業が始まり、建設業界は忙しくなりました。私も被害にあった近所の方々のサポートなどに奔走しましたが、復興事業は父に任せ私はあえて携わりませんでした。
それは、職人さんがみんな復興事業に行ってしまうので、新築を建てる時の人手が足りなくなっていたのです。これはチャンスだと考え、これまで取引のない建築会社さんに声をかけるようになりました。そこから依頼してもらえるようになり、どんどん事業が忙しくなりました。
父は板金業をしていましたが、私は外装全てをトータルデザインしたいと考えていました。屋根も壁も防水も扱える技術はありましたし、そのほうがデザインしやすく、業者の方々にも依頼していただきやすいだろうと思ったのです。そこで父から事業を受け継ぎ、それまでの「鈴木建築板金工業」から頭文字をとって「SKB」を企業名として、株式会社化しました。ただ、そこからは厳しい現実でしたね。
ー厳しい現実!何があったのですか。
売上はどんどん伸びて、前年度を半年で超えました。でも、人がいないので全部自分でやらなければならず、朝5時に現場に入り、21時まで働いて帰ってきて、24時まで加工や見積もりをして寝る、というような暮らしが続きました。かなり苦しかったです。
もちろん、人を雇おうとはしました。でも、うまく採用できなかったり、人を増やしてもクオリティに差が出てしまったりと、なかなかうまくいきません。経営ノウハウもなく、売上が伸びてもなかなか黒字にならずに悩みました。
自分で決めたから逃げない
ーそれは辛いですね…。どのように打開していったのですか。
真岡青年会議所や商工会青年部の活動に参加するようになったのが大きかったです。初めて青年部の集まりに行ったら、自分より年下のメンバーがすごく先輩に見えたんです。これまであまり人とも交流せず、一人で考えて失敗しての繰り返しでした。当時私は37歳、青年部で活動できるのは40歳までなので、「今しかない、学びたい」と活動に注力するようになりました。
特に印象的だったのは、2019年に世界力委員会の委員長になった時のことです。真岡では初めての海外事業への取り組みでした。これはチャンスだと思い、2つ返事で委員長を引き受けました。
まず、異文化を知り相互理解を促進するための交流会を企画。スペイン語教室などに何度も参加し、外国人の方々に参加を呼びかけました。最終的に120人以上の方に参加いただき、良い交流の機会をつくることができました。次に、タイの日本大使館と連絡をとり、実際に視察へ。青年部の会議中にタイとオンラインでつなぎ、現地の空気を感じてもらいながら、タイについて知るゲームを行いました。この取り組みは、6000事業ほどある全国の青年部の活動の中から、最優秀賞を受賞しました。
やっている最中は、大変で正直逃げたい気持ちにもなりました。でも、最終的にやると決めたのは自分自身。決めたことから逃げないことを学びました。最後までやりきったことが自信になりましたね。
仕事の方は、一時期7人まで人を増やしていましたが、クオリティをコントロールできるよう2人まで減らしました。原点に戻り、少しずつ仕事を積み上げていくことに。少しずつ良いスタッフに恵まれ、仕事が回るようになっていきました。
ー青年部での活動で得たものが、仕事にも活きたのですね。鈴木さんは地域での活動にも積極的に取り組まれていますが、どのようにして活動されるようになったのですか。
青年部での活動を通して、さまざまな地域の課題が見えるようになりました。こんなに地域のことを学んできて、青年部を卒業したらやらないというのは違うなと思ったのです。
真岡まちづくりプロジェクト(以下、まちつく)に参加したのは、ちょうど卒業後に何かやりたいなと思っていたときでした。市の方々と一緒に何かをやる取り組みは、これまでありそうでなかった。使われていない施設を利活用しようというテーマにもグッときて参加しました。
ー参加されてみていかがでしたか。
まず、高校生や大学生と接する時間が持てたのが良い経験でした。大人として子どもたちに教えられるスキルがあることが実感できましたし、逆にまだまだ学べることがあるなとも思いました。彼ら、彼女らと一緒に活動すると、自由な発想ができて、「失敗してもいいんだよ」と、学生たちにどうやったら成功体験に持っていけるかを真剣に考えましたね。
私は二宮コミュニティセンターの芝生広場の利活用に取り組みました。約1500人が参加したイベント「Real Shibafu Life」を開催。それまで高校生や大学生と考えてきたことが具現化でき、多くの人が集まり楽しんでくれたのが印象的でした。メンバーは連携が取れていて、やりたいとなったときの話がかなり早かったです。どこかに所属していなくても仲間さえ集まれば、やりたいと思った時にやりたいことが自分達でできるんだと思えました。
その後の活動にも良い影響がありました。2023年に、コロナで中断していた二宮地区のイベント「ナイトブロッサム」の実行委員長になりました。「なんのために、誰のためにやるのか」という目的の設定や、場所の申請、集客の方法など、以前とは事業の作り方が変わりましたね。まちつくで仲間もできました。これまでの経験を生かして、よりグレードアップしたイベントにすることができ、大勢のみなさんに楽しんでいただくことができました。
地域の人の、顔と仕事が一致する機会を
ー最後に、今後の展望を教えてください。
もっと地域に密着できるものを作っていきたいと思います。持っているノウハウを生かしつつ、困っている人がいたら寄り添える会社でありたいですね。
昔は地域の運動会やイベントなどで、地域のいろいろな人と顔を合わせる機会がありました。しかし今はコロナもあって、人と会わずにできることを優先しがち。その結果、互いに仲良くなれなくてギスギスしている感じがします。個人が個人をどう守るかも重要ですが、もっと人と人とが関われる、新しい機会を作っていきたいです。子どももお年寄りも、地域全体でなんとなく見守っていけるといいですね。
加えて、私はまちづくりに関わるようになっていろんな人に顔を覚えてもらえるようになったのですが、たくさんの地域イベントにかかわっているせいか、イベント会社だと勘違いされることも多いのです(笑)。私の実力不足もありますが、多くの地域イベントには、様々な地域の会社や事業者の継承者が、地域を盛り上げるためボランティア活動に汗を流しています、そういった私たちがより地域の皆さんに認知されたらうれしいですし、どういう会社のどんな人が関わっているかを知っていただけたら良いですね。そう思っているのは私だけではないと思うのです。
お互い何ができるかわかっていれば、何か困った時にお願いしたり、紹介しあったりすることもできます。協業することだってできるでしょう。互いが何をしている人なのかわかるコミュニティをうまく作れるような、地域の世話焼き人になっていきたいですね。みんなが顔を合わせたり楽しんだり、活躍したりする機会をつくっていきたいです。
取材、文章、写真:
粟村千愛(地域おこし協力隊)