まちつくインタビュー vol.2 伊澤学さん
失敗上等、始めることがまちづくりの第一歩。
子ども世代が愛着を持てる「コト」を生み出す。
どんなにデザインが良くてもお金をかけても、愛着を持ってくれる人がいないとまちはダメになっていく―。真岡市で建築設計業を営む株式会社大泉エンジニアリングの代表、伊澤学さん。大学時代から建築を学び、都市計画や設計に携わってきました。まちづくりをするうえで大切なのは、「愛着を生み出すこと」だと実感を基に話します。真岡まちづくりプロジェクトの一員として、真岡青年会議所のOBとして活動する伊澤さんが、今ふるさと真岡に思うこと、描く未来のかたちとは?お話を伺います。
伊澤 学(いざわ まなぶ)
真岡高校卒業後、東京理科大学建築学部に進学。2003年、都市計画コンサルタントの株式会社UG都市建築に入社。2009年真岡にUターンし、父の会社である株式会社大泉エンジニアリングに入社。2011年から同社代表取締役に就任。一般社団法人真岡青年会議所に所属し、2016年には理事長を務める。2020年、真岡まちづくりプロジェクトに立ち上げから参画。
デザインで地域をより良くする
―本日はよろしくお願いします!はじめに、伊澤さんの現在のご活動を教えてください。
伊澤:真岡で株式会社大泉エンジニアリングの代表を務めています。何をしているかというと説明が難しいですが・・・一言でいうと「何でも屋」ですね。業種としては建設業で、主に県内外の工場の設備、機械工事やメンテナンスを担当しています。全体の設計から雨漏りの修理まで、相談事にはなんでも乗りますね。
通常、機械なら機械、電気なら電気と専門領域を担当する企業が多いのですが、うちは工場の担当者の方に伴走し、全体のマネジメントから現場まで一気通貫で担当します。
たとえば最近あったのは、工場内にマスクを製造するラインを新設したいというオーダー。ただラインを組めばいいというわけではなく、すでにある工場の中に新しいラインを作るので、工場を増設したりスペースを確保したりと調整が必要でした。それらの調整や実際の機械の設置、電気や水道の手配まで、すべて私たちで担当しました。
言われたことをやるというより、お客さんの求めているものを共有して一緒に走るイメージですね。こちらから提案もします。県内だけでなく、県外へも出張してさまざまなお客さんとやりとりしています。
それから、まちづくりの活動。2021年には真岡まちづくりプロジェクト(以下、まちつく)に立ち上げから携わり、サポート役として参加しました。ほかにも、一般社団法人真岡青年会議所(以下、JC)のOBの先輩方と出資しあって真岡まちづくり株式会社をつくり、さまざまな活動をしています。
―大学では建築を学んでいらっしゃったと伺いました。どんな経緯でいまの活動にたどりついたのでしょうか?
大泉エンジニアリングはもともと父がつくった会社です。小さいころから後を継ぐよう言われて育ったので、いつか自分が継がなきゃいけないだろうなと思っていました。ただ、デザインに興味があって。デザインが学べて会社を継いだ後も役に立ちそうな分野を探し、建築を選んだのです。
大学ではロシア建築を学びました。ロシアはロマノフ王朝時代、社会が大きく変革していく中でまちを新しくデザインしていっていました。公民館の先駆けとなる労働者の宮殿と呼ばれる施設を作るなど、世界に先駆けてさまざまな取り組みをしていたのです。デザインが地域の人の暮らしをより良くしていくのを感じて興味を持ちました。良いデザインとは何なのかを理解したい気持ちとともに、いつか地元に戻った時、周囲をより良くできる適切な知識や手法を知りたいという気持ちもありましたね。
―最初の就職先はどのように決めましたか?
地元に戻るまではどうしても設計事務所で働きたくて、友人の紹介で学生時代からバイトをしていました。横浜のみなとみらい線に関わるプロジェクトに参加し、学生ながらいろいろな経験をさせてもらい、そのまま採用されました。
若いうちから裁量の大きな仕事をさせてもらって、どの案件も思い出深いですね。中でも特に、横浜のホテルを解体し、跡地に1230戸の住宅地をつくるプロジェクトが印象に残っています。横浜市はまちづくりのデザインに非常にこだわっていて、デザイン審議会が成熟しています。単に空き地があるから住宅をつくるのではなく、歴史や地形など場所性を大事にまちをつくる。そんなまちづくりに携われたことは大きな経験になりましたし、大人数のチームでの動き方や行政とのやりとりの仕方など、理想をどう形にするかを学ぶことができました。
地域の人とつながり、まちが見えるようになった
―真岡にUターンするきっかけは?
家族が体調を崩したことをきっかけに、2009年に戻りました。やりたいことはできた感覚がありましたし、年齢的にもそろそろ潮時だなと思っていたんです。
戻ってからは、現場に出たり父のサポートをしたりして、2年目で父を継ぎ代表になりました。戸惑いはありませんでしたが、これは大変だと感じていましたね。業界は職人の高齢化が進み、数も減少。組織や顧客もつくりきれていなかったので、しばらくは下地をつくるために地道な営業を続けました。
―まちづくりの活動に携わるようになったのはいつ頃からですか?
34歳のとき、JCに入ったんです。もともとまちづくりには興味がありました。加えて、JCが「芳賀教育美術展」を運営していると知って「これは自分がやらなきゃ」と思ったのです。
芳賀教育美術展は、芳賀郡内の子どもたちから作品を募って毎年開いている芸術展。私も小さいころに出展し、賞をもらったことがありました。親が喜ぶのを見て嬉しかったのを、今でも覚えています。褒められることがあまりなかったので、それで自信がついて絵を描くのが好きになったんです。
そんな美術展を自分と同じくらいの大人がやっていると知り、衝撃を受けて自分もやろうと思いました。恩返ししたい気持ちでしたね。
JCに参加し始めて、大きな変化がありました。まちが見えるようになったんです。たとえば会社の看板を見ても、社名の「XX建設さん」ではなく、「釣りが好きなXXさんの会社」だと認識するようになりました。同年代の人々と形だけではなくつながることで、コミュニケーションが取れるように。人脈が全国に広がり、何かあった時には助け合える関係性を築くことができました。
2016年には理事長となり、芳賀教育美術展とそれに伴うアートイベントを開催したり、行政と一緒に地方創世の取り組みをしたり。自分の関心がある領域でのつながりもでき、仕事や活動の幅が広がりました。そうやって人とつながり活動する中で、真岡市でまちつくの取り組みもスタートさせることもできました。
愛着をもてるコトづくりが責任世代の役割
―JCをきっかけに活動が広がったのですね。まちつくを立ち上げ、活動に取り組まれる中で、特に印象的だったことはなんですか?
公共空間である五行川河川緑地を活用しようと、RIVER+(リバープラス)と名付けて様々な企画をしたことです。中でも、チームメンバーの大学生のアイデアで開いたピクニックマルシェ。多くの人が、あの場所でそんなことができるなんて思っていなかったと思います。しかし当日は天気にも恵まれ、約2400人が来場。思っていた通りの景色を実現できて感動しました。
まちつくは、メンバーそれぞれが役割を果たしていて互いに協力関係があります。JCの仲間にも声を掛け入ってもらったので、雰囲気が伝播しているところはあるかもしれませんね。全国にあるJCの中でも真岡は特に仲間同士のつながりが強く、仲間の誰かが何かをやったら手伝う空気があります。だから一人でも新しいことを始められるんです。仲間から声をかけられれば面白がって取り組みますし、やるとなればみんな本気ですから、心が揺さぶられる出来事が何度もありました。
ただ、まちつくはあくまで高校生や大学生が中心で、大人が前に出ないところもよかったですね。若いメンバーに「やってよかった」と思ってもらえることが一番だと思うんです。活動を通して、自分が自分になるというか。キラキラと変わっていくのを見るのが楽しいですね。やってよかったという思い出が、いつか地域で花開くこともあるんじゃないかと思います。
―高校生、大学生と大人とが、それぞれの役割をもって取り組まれてきたのですね。伊澤さんはまちづくりに取り組むうえで、特に何を大切にされていますか?
まちづくりの仕事をして感じたのは、どんなに良いデザインでも、いくらお金をかけたとしても、まちは住んでいる人に愛着を持ってもらえないと衰退していくということです。だからこそ、ある種の愛着をどうつくるかが大切だと考えています。
たとえば、まちを歩いていて楽しいと思える、夜中までここで語りあいたいと思えるような場所があることは、愛着を持ってもらえるまちの魅力の一つになるかもしれません。一方で、これまでは建築物などハードのことばかり考えていましたが、まちつくでの活動を経てソフトな取り組みの重要性も感じるようになりました。建物があるだけでなく、イベントやコミュニティなど、そこでどんな体験ができるのかも大切なのです。今回のリバープラスでの活動もその一つになるかもしれません。
この真岡という場所で暮らすことに、確信を持てる人をどれくらい増やせるか。近所で良い店を見つけたとか、魅力的な人に出会ったとか、そういった愛着を生む「コト」を生み出すことが大切です。次の世代の子どもたちが育ち、帰ってきたいと思える環境をつくることが、責任世代のいまの自分たちの役割だと思っています。
答えはまだない。始めることから始まる。
―ありがとうございます!それでは最後に、今後の展望を教えてください。
会社に関しては、人を増やして安定させたいです。自分自身の、経営やまちづくりを考え実践するための時間を増やしたいですね。畑もやっているので、農業にももっと本腰を入れて取り組みたいです。
まちつくの活動は、今年で2年目を迎えます。1年目はできたこと、できなかったことがありましたが、みんなで頑張れた実感はありますね。2年目もそれは継続しつつ、さらにかたちが残るものを作れればと考えています。たとえば活動の拠点となる、コミュニティスペースのような建物。場所として機能するのはもちろんのこと、建物ができたということ自体がこの取り組みの発信になると思うからです。活動がまちの中で形として見えると、まったく違ってくるはず。そんなスタートが切れたらいいですね。
真岡の10年先、20年先、どんなあり方が幸せなのかよく考えます。高度経済成長期には、工業団地をつくり、企業を誘致し人を呼んで地域が豊かになっていくビジョンがありました。でも、人口が減って成熟していく中で、中心市街地はどう変わっていくべきか、若い人が住みたいまちはどんな形をしているのか、今はまだビジョンが見えません。共感できる理想が一つあればと思いますが、どの地域でもまだ見えていないのではないかと思います。だから、失敗しながら進んでいくしかありません。
まちづくりは専門的な知識が必要というより、楽しみたい気持ちや情熱さえあれば誰にでもできるものです。たとえ失敗することばかりでも、大切なのは「まず始める」こと。手を挙げた人たちと一緒にたくさん失敗をしながら、このまちのビジョンを考えていきたいです。
取材、文章、写真:粟村千愛(真岡市地域おこし協力隊)