見出し画像

過去と未来、人と人との間をつなぐ。地域に根ざす神社の役割【まちつくインタビューvol24.柳田耕史さん 】

栃木県真岡市で、まちづくりに取り組む方々の想いを伺うインタビュー!今回は、1500年以上前から真岡に鎮座する大前神社で、神職の一つである禰宜(ねぎ)を務める柳田耕史さんにお話を伺います。


柳田 耕史(やなぎた こうし)/ 延喜式内大前神社 禰宜
1500年以上の歴史を持つ、真岡市の大前神社に生まれる。國學院大学を卒業後、埼玉の秩父神社を経て大前神社へ。一般社団法人真岡青年会議所の委員や真岡商工会議所青年部の会長など、地域でもさまざまな役割を担う。


「間に立つ」神職の役割

―柳田さんのご活動を教えてください。

大前神社の禰宜をしています。禰宜は神主などと並ぶ神職の一つで、みなさんのイメージ通り、装束を着てお祓いなどをするのが主な仕事です。

大前神社では年に数回、五穀豊穣を願い、天の恵みに感謝する大きな祭りを執り行います。農業をしていないとあまり関係なく感じるかもしれませんが、冷夏で農作物が収穫できないと価格が上がりますし、台風や大雨、洪水などの災害の被害も増えています。自然の中に人間がいて天からの恵みをいただいていることを体現し、大変な事態が起きないよう願うのがお祭りです。

神社にはさまざまな願いを持った方がいらっしゃいますから、社殿を清浄に保つことも大きな仕事の一つです。また、市内の神主がいない神社に出向してご祈祷したり、年間300ほどある地域のお祭りや、工場などの地鎮祭に出張したりすることも。老若男女問わず、世代も立場もさまざまな地域の方々とお話しする機会が多いですね。

この仕事のやりがいは、人の人生の節目に立ち会えることです。赤ちゃんが産まれて初めてのお宮参り、成長を祝う七五三。結婚式も年に数回行うことがあります。先日は入試の合格発表が終わり、「合格したのでお守りを返しにきました」という方がいらっしゃいました。重要な瞬間に立ち合うことには責任も感じますが、同時に大きなやりがいになっています。

ー神職の方は神社にいるイメージだったのですが、予想以上に地域のさまざまな場所に行かれていて、地域との関わりが多いお仕事なのですね。

そうですね。そもそも神社はさまざまな方に支えられて成り立っています。例えば祭祀で神楽を舞っている方も、神社で雇用している訳ではなく、無償でやってくださっている。お神輿を担いでいる方も仕事ではありません。役割を担ってくれる方々に支えられているのです。一方で、神社のお祭りに参加することが楽しいと言ってくださる方もいます。地域の方の活力にもなるため、神社と地域は表裏一体だと感じています。

 神職の仕事は、「なかとりもち」とも言われます。神様と人との間に入って、祈りを神様に伝える役割だからです。加えて、神道では過去と未来の間を「中今(なかいま)」というため、中今にいて過去と未来をつなぐ役割とも言えると思います。

先輩方の歴史や伝統を、次の世代にどう残していくか。あるいは削っていくか。 地域に残る風習には、それぞれ始まりがあり、始めた人たちの苦労があります。それをきちんと伝えていき、本当に残すべき必要なものが何か、地域の方々と考えるべきだと思うのです。人口が減少する中で、必要なものを選んで他を削ぎ落としていかないと、本当に大切なものがなくなってしまうこともあります。神様との間だけでなく、人と人との間に立って、つないでいきたいと考えています。


神社を継ぐ

ー神職に就こうと思ったのはいつ頃ですか。

神社の後継として生まれたので、自然とそう思っていましたね。小学校1年生の時は将来の夢を聞かれて「パイロットになりたい」と書いていましたが、高校生になる頃には神職の資格が取得できる大学に行こうと決めていました。

祖父が、「孫が高校を卒業した、あと数年で帰って神社に来るんだ」と周囲に言って回っていたみたいなんですよね(笑)。「爺さんが嬉しそうに話してたぞ」と近所の人に言われると、もうやらざるをえないじゃないですか。

そもそも神社と地域との関係は深くて、私のお宮参りの際は神社の役員さんや総代さん50人くらいでお祝いしてくれたそうです。「早く帰ってきて親父を支えてやれよ」と言われることもあり、地元の人が期待してくれているのは感じていました。時にはそれを重く感じることもありましたが、嫌ではなかったです。人と接することそのものが好きだったんですよね。

國學院大学に進学して無事資格を取得し、埼玉の秩父神社で修行。24のとき真岡に帰ってきました。神社の役員の方々を前に「一人前になって帰ってきます」なんて言いましたが、どう考えてもまだ一人前ではなかったですね。思い返すと恥ずかしいことを言ったなと思います。

戻ってからは、仕事を覚えるために各地区のお祭りや会合などさまざまな場に顔を出していました。それまでも神社の仕事を見てはいましたが、風習やしきたりの地域ごとの違いや、誰が携わっているのかは知らなかったのです。会合に呼ばれる回数も多く、大変だなと思うこともありましたが、馴染むのは比較的早かったですね。父に顔がよく似ているので、すぐに「神社のせがれか!」と覚えてもらえて(笑)。おかげで溶け込みやすかったかもしれません。


地域の経営者たちとの出会い

ー地域により深く関わるようになったきっかけは?

一般社団法人真岡青年会議所(以下、JC)に入ったことです。それまで特定の組織に所属していなかったのですが、何度も誘われて入ることに。30を超えると、なかなか自分の職業以外のことをやらされたり怒られたりすることはないじゃないですか。JCにはそれがあり、事業を構築するまでのプロセスを考え、何度も協議する経験は学びになりました。

地域の経営者たちと知り合えたことも大きな価値でしたね。一緒に酒を飲んでコミュニケーションを取らないとわからない話もたくさんあります。それまで知らなかったさまざまな人の、バックグラウンドや考え方、立場や人間性を知ることができました。

加えて、神社とは違う民間企業の事情もわかるようになりました。企業は利益を追求しますが、神社はそうではありません。費用は賄わなければなりませんが、利益が一番ではないからです。あの銀行は金利が安いとか、人員不足で採用に100万かけているとか、神社にはない経営の苦労についての話を聞きました。そんな経営者の方々から、神社はお金をいただいているのだと思いました。それをわかっているのといないのとでは全然違いますよね。

また、神社で何かするときは、どれだけの人が関わる必要があるか気にするようになりました。3人で済むものもあれば、計画段階から協力者を募れる事業もあります。さまざまな人に関わっていただいた方が良い事業になることがわかってきて、いろいろな人が関われるものを作ろうと考えるようになりました。

数年活動したころ、JCの45周年事業の委員長に指名されました。大変な役割だとはわかっていましたが、周りの経営者の息子たちに負けたくない気持ちもあり、指名されたことは嬉しかったですね。自分のやりたいこと、地域のためにできると思うことをやれと言われましたが、気負ってしまって。どれくらいの規模のことをやるのがふさわしいのかなど、思いとは違う部分を気にしていました。

悩んだ末、ツインリンクもてぎで「森に学ぼう」という、子ども向けのイベントを開催することにしました。私が神社の中で仕事で大切だと考えている、自然の大切さを伝える取り組みにしようと思ったのです。

毎晩遅くまで会議で大変でしたが、仕事以外で本気になって、時間と能力を割いて何かを成し遂げようとする経験は貴重でした。メンバーの助けを得て形にできましたね。当日は水を濾過したり火を起こしたりカレーを作ったりと、思い描いた体験をしてもらうことができました。子どもたちからも単に「楽しかった」だけではない感想が出て、良かったとホッとしました。歯を食いしばってやる中で見えるものがあったなと感じます。

その後、JCの副理事長になり、真岡鐵道の客車に白いフィルムを貼り、自由に絵を描くイベントも開催しました。 面白いアイデアでしたが、最初は絶対無理でしょとみんなに言われました。このとき役に立ったのは、神社としての付き合いでした。「初めまして」では話が進みにくかったかもしれませんが、すでに真岡鐵道さんともお付き合いがあったため、アイデアを実現させることができました。

さまざまな取り組みをしましたが、正直、それらの事業が地域にとってどうプラスになったのか、はっきりした効果をお伝えすることはできません。でも、仲間と助け合いながら実践し、作り上げたことは紛れもない事実なのです。

私は今また、真岡商工会議所青年部の会長を務めています。地域づくりにおいて、「あれをやったから真岡がこうなった」とすぐには言えませんが、先輩方が50年以上継続して事業をやってきた、その事実は地域に残っています。その事実がなかったら、間違いなく人口も、会社も減っているだろうと思うのです。


人と人とをつなぎ、過去と未来とをつなぐ

ーありがとうございます。最後に今後の展望を教えてください。

 いろいろな地域の方に出会ってきた中で、世代ごとに新しいことを切り開いてきた先人がいたと感じます。頑張っている人がいることで、まちが活性化し、変わってきたと。

今は新しく真岡まちづくりプロジェクトが始まりましたよね。高校生や大学生の意見を実現する取り組みで、少しずつ若い人の意見が反映されるまちになってきたと感じます。数十年先のまちの構想を練るのなら、そこに住む若者の意見を聞いて、できるものをやってみるべきだと思うので、良い取り組みだなと感じます。

私自身は、これまで組織に甘んじて、新しいことができなかったという後悔があります。でも、ずっと真岡にいるのでこの地域のことはよくわかっています。一方で、良い発想を持っていても地域につながりがなく、どう動けばよいかわからない方もいると思うのです。そういう方と地域とをつなげば、何かできることがあるかもしれません。「なかとりもち」として、両者の橋渡し的な役割を担っていければと思います。

昔は地域にコミュニティが少なく、神社のお祭りで人と会うのが家族の次のコミュニティでした。神社は人が集う場所であるべきだと考えています。神社で何かやりたいという人がいたら一緒にやっていきたいですし、地域の一員として人が集まる神社を作り上げていきたいです。


取材、文章、写真:
粟村千愛(真岡市地域おこし協力隊)


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!